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院長ブログ

置かれた場所で咲きなさい(2021.12.02更新)

保険医協会と言う団体から依頼があり、多摩保険医ニュースに寄稿した コラムです。

 

置かれた場所で咲きなさい

 

”何で夜間に来るんだよ。検査や点滴を、すぐしてくれると思って、狙ってきたでしょお父さん”

 

今から、約10年前。自分達夫婦が医師である事を明かさず、気管支喘息発作で入退院を繰り返す、1歳の長男を連れ、夜間小児科救急外来を受診した時の対応である。悔しい思いがこみ上げたが、はずれではないので何も言えなかった。当時、泌尿器科医であった自分にとって、小児診療は未知であった。結局、長男は入院となったが、苦しそうに呼吸をするわが子を、ただ抱きしめ背中をさする事しかできない自分が歯がゆかった。

 

 一方、職場では、当時10年目で中堅医師となり、泌尿器科手術の中では、最も大きな手術であった膀胱全摘術+尿路変向術も全例術者で執刀した。しかし、手術侵襲が大きくなる程、高齢患者の合併症や術後急変に出くわす事も多々あった。しかし、救急対応となると不慣れで、迅速な対応ができず、救急医や内科のDrに頼る事で難を逃れていた。

 

 泌尿器科指導医を取得した後に、このような経験から、このままでは、自分は片輪の医師になってしまう。救急初期対応を学び直そうと救急分野に短期間異動する事を考えた。医局の教授に打診。最初は反対されたが、結局、自分のの意志がかたく、2012年から救急に異動した。

 

 異動した母校の大学病院分院救急科は、救急車の台数が多い施設ではなかったが、スタッフも親切で、のほほんと1年間勤務してしまった。しかし、1年後、さらに外傷救急、とりわけ骨盤外傷を学びたいと考え、埼玉医科大学に移動した時に自分の力不足を痛感した。この施設は、外傷、熱傷の症例数が多い施設であったが、自分が、泌尿器科医としても救急医としても、全てにおいて力不足で知識も足りない事が露呈した。この施設で、じっくり腰を据えて勉強しようと思った矢先、義父が大腸癌で亡くなった。絞扼性腸閉塞から大腸癌が判明するという、比較的急な出来事であった。義父は、内科小児科の診療所と介護関連施設を運営しており、患者とスタッフのために、僕がその後を継がねばならない状況であった。しかし、泌尿器科と少々の救急医療をかじっただけの医師には荷が重かった。

 

 継承後、小児科と内科の外来診療を学ぼうと考えた。この時点で、大学病院勤務を非常勤となり、夕方まで診療所勤務、勤務後に家庭医のクリニックや、埼玉医大小児科で当直して小児救急を学び、さらに休診日は湘南藤沢徳州会病院で内科外来の陪席や救命救急センターでの救急医療という過酷な日々が始まった。慣れない救急医療や、内科・小児医療を非常勤勤務することは精神的にも肉体的にもつらく、医師として10年以上経つのに、救急の場では何もできない自分に落ち込み、診療前は、精神的にも不安定になり嗚咽がとまらなかった。

 

 最も辛かったのは、湘南鎌倉総合病院で救急医として勤務した時だった。当時、後輩医師の協力で、4ヶ月間であったが、自分が、週1回クリニック勤務、残りの6日間は救急診療に専従できる期間を作る事ができた。日本一の救急車台数を誇る湘南鎌倉総合病院のERに行けば、短期間でどうにかなるという考えで行ったが甘かった。

 忘れもしない、2016年8月8日、1時間に1台来る救急車の対応で、ERに患者がたまり、マネージメントできず右往左往している状況で、帰宅判断とした患者が再度搬送、その患者の家族から”なんで帰したんだ”と叱責された時に、僕の心の中でポキっと何かが折れた。”もう無理だ、やめよう、もう救急もクリニックもやめよう”と、膝から崩れ落ちた。その際、当時、湘南鎌倉総合病院救急科部長の先生から、 ”もうやめますか?いいですよ。本当にいいんですね” とさらっと言われた。僕は、その冷ややかな対応に正直愕然としたが、それが僕の心に火をつけた。1時間救急外来で心を落ち着かせ、本当に辞めるのか自問自答した。

 

 1時間後、再度 ”いや、やります。俺には、待っているスタッフと患者がいるんで、もう1回やります”と伝えた。先程までの対応とかわり、救急科部長は、”そうですよね。まだ頑張れますよね。やりましょう。今日は仕事がおわったら飲みに行きますか?”と笑顔で言って頂き、一緒に働くERの同僚Drが、”大丈夫です。先生がきついときは僕らが助けます”と言われた事を今でも忘れない。あれが、救急医療を続けようと決心した転機であった。その後も苦労はあったが、湘南鎌倉総合病院のみでなく、東海大学八王子病院救急や、現在は母校の日本大学病院救急科での非常勤勤務を診療所勤務の傍ら続けている。

 

救急医を志してから、ちょうど10年が経った今年度、救急科専門医試験にも合格した。今でも、救急の場では、焦ることはしばしばあるが、周囲に助けられ何とかなる。自分自身の成長や変化を意識する事は少ないが、後退はしていないと思ってる。辛い10年間であったが、素晴らしい出会いが僕を支えてくれた。”置かれた場所で咲きなさい” この言葉を胸に、地道に努力を続け、明日も目の前の患者さんと向き合いたい。

 

 

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